街の断片

先日このブログでも触れた様に、洋館建築が立ち並ぶ界隈を形作っていた築明治22年の旧山崎歯科の赤レンガ建築が解体され、大勢の仲間と共に解体現場から赤レンガを拾いだしました。作業に携わった方の思いは其々だと思います。地元の新聞からも取材を受けて、「何故レンガを拾い」「そのレンガをどうするのか」という問いかけにも答えました。

私は、建築家であり、物をつくるのが仕事です。しかし建築家は、画家が絵をかいたり彫刻家が彫刻をつくるのとは違って、建物が建つ敷地があり、建物を使う人がいるかぎり、勝手な創造で建築をつくる訳にはいきません。そこで考えざるを得ないのは、建築と場と人の関係性です。特に、市街地などの他者との関係性が複雑な場所では、周辺を形作る要素・断片を拾い出し、分析して、新たな建築がその場所とどの様に応答するかを考えます。街路・小路・界隈を構成する建物の尺度・デザインモチーフ・人の流れ・光や風や水・音・・・全てが「街の断片」であり、それを再構成したり、それらとの応答を考える中から建築を形づくっていきます。
誤解を恐れずに言えば、私は建物保存にあまり興味はありません。私が興味があるのは「街の断片」であり、それを読み解き、再構成しながら、新しい建築と場をつくる事に関心があります。
勿論、旧山崎歯科医院の赤レンガの建物は、その建築自体が、洋館が立ち並ぶ界隈を形作っていた大切な「街の断片」であり、出来る事ならば、この建築が歴史と界隈を物語る建物として、この場所に残って欲しいと思っていました。赤レンガの建物と応答する事で、周囲の建物が考えられ、この界隈がつくられたのですから、その点においてこそ、この赤レンガの建物が重要だったのだと思います。

しかし、赤レンガの建物は解体され、文字通り「断片」となってしまいました。我々がすべき事は、拾い集めた赤レンガを手元において「形見」として郷愁に浸る事では無いと考えています。この「街の断片」を再構成して、再び活かす事を考えたいし、その様な方の手元に、この赤レンガを届けたいと思っています。アートとして形を変えて、街を刺激するのも一つでしょう。クラフトとして、人々の生活に手仕事の温もりを与えるのもひとつでしょう。建物が建てられていた松本・この場所と繋がって、1200個の赤レンガに、其々の新たな物語が書き加えられていく事に意味があるのだと思います。

余談・・・あるいは、建築の素材として再び活かせる機会があるならば、今の技術で全く違う赤レンガの使い方をしてみたいとも思います。例えば、レンゾピアノのIRCAM増築みたいに、レンガを礎石造でなく全く逆のカーテンウォール(吊り下げ壁)として扱うなどという、既成概念を覆すようなアーティスティックな扱い方なんて、カッコイイよね!