カタクラモールをめぐる二つの集まり

しばらく、ブログを離れていましたが、村の交流センターの設計、新築住宅の設計2件、大規模な住宅の改装、ホテルのインテリアデザイン、住宅のサンルームの増築、そして、エネルギーゼロ住宅の構想・・・忙しくしています。そんな仕事をしつつ合間には、松本市の市街地の6.5haのショッピングセンター再開発、カタクラモールに対して、仲間たちと私案を作成したり・・・(ブログを書く暇がありませんでした・・・という言い訳です。)


そんな中、先週末は、カタクラモールをめぐる集まりを主催したり、呼ばれて話をしたりしました。

ひとつは、「6人の建築家が思い描くカタクラモール再開発」。私を含む、松本市在住の建築家6人が、カフラス、生物科学研究所など現存する古い建物を残しながら、分散配置のショッピングセンターの私案を作成し、それについて、色々な意見を聞く・・・という集まりを主催しました。
この手の集まりに参加する方達は、イオンなどが行う、郊外型インストア形式のショッピングセンターが市街地に出来る事に違和感を持っている方が殆どです。しかし、6人ほどのグループに分かれたディスカッションの私のテーブルには、珍しく、イオンの推し進める郊外型インストア形式のショッピングセンターを肯定する意見の方もいました。大規模なイオンモールを待望する消費者と、街の連携や界隈を大切に考えたい人達とのズレが、我々のテーブルでの主な議論となりました。


もうひとつは、20代の方たちが主催する「カタクラッシュ」と銘打った、短い演劇とトークイベントにコメンティターとして呼ばれました。演劇は「死体の使い方」というオリジナルの演目。開店前のとあるバーのフロアーに一体の死体が横たわっていました。殺人バーとして商店街の目玉に利用出来ないか?この死体はバーの財産だからバーの宣伝に使う。死体の使い方を巡って、街の人達が色々な思惑で議論するというナンセンスコメディーです。演劇としては色々な見方が出来ますが、カタクラモール再開地に残されたカフラスや生物科学研究所が、死体のメタファーとして扱われている・・・というのは、自然な見方のひとつでしょう。その中で我々は、死体の利用を考える街の人の一人・・・という事になるのでしょうか?
このイベントに来ていた方達は、普段は街づくりなどにはあまり興味を持たない方たちが殆どです。イオンの再開発に対して、我々が専門家づらをして意見を表明したりする事がナンセンスで滑稽にすら見えたりもするでしょう。続くトークイベントの中では、熱く語らすに、我々が再開発に意見している根底の、街のあり方について淡々と話をしました。

「まちづくり」は大変です。そもそも、「まち」をデザインしたり作為的に誘導したりする必要があるのか・・・というところから始まります。熱くまちづくりを語る人の中には、「まちづくり」が無ければならないと盲目的に信じている方が多いのですが、一歩離れれば、盲目的なまちづくり信仰はとてもナンセンスです。けれども、街にはなんらかの仕込みは必要です。その為の思想やブランディングイメージも必要です。それを廻す経済も必要だし・・・。
かつては、まちづくりは「バカ者、よそ者、若者」がリーダーになって熱意を持って推進するとか、ハードとソフトの両輪が大切だ、などと語られてきましたが、もはや、そんな構図の中で街づくりが進むとは思えません。高層マンション反対・賛成、という二項対立のゼロサムゲームでもないでしょう。
混沌とした多様な価値観の中に、どんな泳ぎをつけながら仕込んでいくか・・・が私の漠然としたまちづくりや都市デザインのイメージになりつつあります。
そんな事をあらためて感じた、カタクラモールをめぐる二つの集まりでした。