----------  ファッションデザイン学校


この秋から、ファッションデザイン学校の講師をしています。


産休の先生に代わって、半年間、ベーシックデザインの演習を受け持つことになりました。建築家が何故ファッションデザイン学校?・・・と思われるかもしれませんが、ファッションデザインと建築デザインは通じるところが多いのでしょうか、ピエール・カルダン、ジャンフランコ・フェレ、ロメオ・ジリは、ファッションデザイナーになる前は、建築の勉強をしていました。・・・しかし!!私の容姿や身なりを良く知っている家族友人には「どうして山田がファッション学校?」と笑われています。
服も建築も、生活に根ざした物であり、身体感覚にまつわる物であり、立体造形であり、アイテム(住宅・店舗・オフィス・シャツ・スカート・ジャケットなどの使用目的)があり、素材(コンクリート・鉄・木・布・皮・紙などの素材)があります。
更に、コンセプトの組み立てからディテールコストコトロール、大工・職人・テキスタイル・パターンナー等、色々な役割との共同作業まで、デザインプロセスにおいても共通することが沢山あります。そして、何より、その服を選び袖をとおし、その建築で過ごす人たちにとって、心地よい物を考える・・・というデザインの本質は同じです。
そんな理由で、ベーシックデザインの演習ならば・・・とお引き受けしました。

校長先生からは「気分転換だと思って教えに来てください」と言われましたが、前期の講評会と、授業2回に参加して、改めて「デザイン」ということについて考えています。


まず感じたのは「興味」「関心」を持ち続ける事の大切さ・・・・・。
ファッションデザイン学校の学生さん達は、皆、オシャレです。当然といえば当然です。毎日、家を出る時に、今日はどんな服を着ていこう、こんな冒険をしてみようか、と毎日ファッションに興味を持ち表現する機会があります。常に自分のデザインする対象に興味を持ち続けることは大切です。
しかし、我々は建築のデザインをしていますが、一日のうちにどれ程、建築のことを考えているでしょうか?素敵な建築を体験すること、写真などで感じること、図面を研究すること・・・どれ程、建築に対する興味を持続しているのか省みてしまいました。

もうひとつ感じたのは「物が出来上がる事に対するリアリティー」・・・・。
前期の講評会に参加させて頂きましたが、まず感心したのは、皆ちゃんと着れる服になっていることでした。自分の考えた服が「現実」として出来上がっています。綺麗だろうが醜かろうが、快適だろうが着心地が悪かろうが「現実」から逃れることは出来ません。厳しい評価にさらされることを、既に学生の頃から体験しています。
しかし、建築の学校では、自分で考えた物が実際の建築となることはまずありません。リアリティーに直面するのは、社会に出てからで、その時始めて色々な現実に直面して、頭を抱える事になります。ファッションデザイン学校の学生と、建築の学生・若いスタッフを見比べて、建築に関わる若い人の、物が出来上がることのリアリティーに対する甘さを痛感しました。


まだ、教え始めて僅かな期間ですが、私自身がとても勉強になっています。毎週木曜日が楽しみです。