感性をもって仕事をする

我が家の近くに、松本測候所がありました。三日坊主の私は、小学校の夏休みのお天気調べでは毎回お世話になりました。気象観測機器の自動化により、測候所が廃止になり、その跡地に公園が造られる事になり、春の開園に向けて工事が行われています。
今朝の散歩で通りかかると、公園の道路際にガードレールが設置されていました。住宅街の交通量の少ない生活道路で、測候所当時は緑の生垣でした。松本市の公園緑地課が行う公園整備で、こんなデザインはあり得ません。

どうして、こんな無粋なガードレールが出来てしまったのでしょう。
専門的な解説をすると、ガードレールは道路側の事情です。公園の敷地よりも、道路が高くなっているので、市道を管理する道路維持課としては、車両の転落防止の為にガードレールを付けなければなりません。
では、どうすればガードレールを無くす事ができるのでしょうか。
公園の整備で、道路際のある程度の幅は道路とレベル差が無いように造成し、公園の敷地内でレベル差を解消します。そうすれば、こんなガードレールは無くても大丈夫です。公園の維持管理を気にするのでしたら、道路と同じレベルに擦り付けた公園のエッジと法面には、低木の植栽なり生垣を上手に配置し、植栽の中にネットフェンスを忍ばせれば充分です。
松本市の公園緑地課と道路維持課で多少の調整をすれば、住宅街の道路(しかも公園脇)に、こんな無粋なガードレールを設置しなくて済みます。木製ガードレールを設置するのが景観デザインではありません。不要なガードレールやファーニチャーが必要ないように、先ず、きちんとランドスケープデザインをすべきで、それが本来の「景観デザイン」です。

この様なケースでは、縦割り行政が批判の対象になり、それを改める事も大切ですが、それ以上に大切な問題が潜んでいます。担当者が「住宅街の公園脇に、こんなガードレールがあったら無粋だ」と思う感性の問題です。道路行政の仕事に慣れるにつれて、ガードレールがあるのが当たり前だと思ってしまいます。常にニュートラルな態度で、感性に耳を傾ける事が大切です。後は、やる気さえあれば、解決方法はいくらでもあります。
我々の仕事も同じ事ですね。(自戒の念を込めて・・・。)