クリエイション

アパレルファッションの分野での言葉ですが、アパレル(量産を想定した衣服デザイン)に対して、クリエイションという言葉があります。オートクチュールであったり、コレクションの発表みたいなものと考えて頂ければ良いでしょうか・・・。
私が教えている松本衣デザイン専門学校では、3年生が選択で取り組み、昨日、途中段階での講評をしました。今までの条件設定された課題から離れて、服つくりのコンセプトを求められ、全てを自分で考えていくのですが・・・どうしてこんなにダメなのか?・・・まるで、落とし穴に落ちたみたいです。
今日は、2年生の衣服デザインの課題の講評会でした。事前に校長と打ち合わせていませんが、二人とも・・・その原因の一つは、普段の課題への取り組みに、クリエイションに繋がる意識が足りないのかもしれない・・・という観点で、今日の2年生の課題を講評していました。課題に対する講評が終わった後、自然と講師と学生の間で、クリエイションについての雑談が始まりました。



雑談の中で、学生から、クリエイションとは何か?クリエイションがクリエイション足り得る条件は?と問われ・・・
校長が、「私は、今朝、それをブログに書いたので・・・」と、私の意見を促しました。

1.自分の価値観を表現する事。引用で構わないし、オリジナルである事を問わず、自分の考え・意識がある事。
2.作品が、人の心を動かすものである事。美しいと思わせ・楽しいと思わせ、人の関心を呼ぶものである事。
3.衣服のつくり手であり、衣服の表現である以上、衣服とは何かを考え、衣服として勝負する事。
・・・ここまでは、学生でも必要な最低条件!
その次にある、真の勝負の分かれ目は・・・時代性・今の時代での存在意義・・・と話しました。

校長は、「私がブログに書いた事と、ほとんど一致しています。」と話されました。(読んでみましたが、まさに同じ事が書いてありました。) 続けて校長が話したのは、彼方達は、「若い」と言うだけで、今の時代性を持っているのだから、最後の部分は今から心配する必要はない。


今一度、昨日の3年生の作品をみてみると、アパレル(量産を想定した衣服デザイン)が市場分析の上に成り立つのに対して、クリエイションはリサーチを重ねた上で最適解を出すのではない・・・という事だけは判っているようです。
しかし、クリエイションに取り組む時、新しい何かを求めるあまり、「思い付き」に飛びつき「自分」と乖離してしまっているようにみえます。そして、美しさも服をつくる事も忘れて、訳の判らない戦いを挑んでしまっています。
ある日、突然、クリエイションという新しい事が始まり、そこに放り出されるのでは無く、普段の課題の延長線上にクリエイションがあり、常に、自分の考えや価値観を組み立てていなければクリエイションに取り組むことは不可能です。



建築の学生にしてみれば、アパレル学校のクリエイションに当たるのが、「卒業製作」です。私自身、振り返ってみても「卒業製作」で考えていた事と、今考えている事は、たいして違いません。そして、今の自分に一番欠けていると自覚しているのが、時代性・・・もう、若いとは言い難い年齢です。(注:時代性・時代での存在意義とは、時代をリサーチして答えを出す・・・という意味ではありません。今の時代・次の時代に何を訴えていくか・・・という意味です。)

「卒業製作」=デビュー作?・・・それ以来、毎日がクリエイションです。