--------重層した街


ここ半月ほど、(社)長野県建築士会景観整備機構のワーキンググループの一員として、松本城の近くの、大名町・土井尻町のまちづくり提言書をまとめています。
平成16年に制定された「景観法」の一環として、各自治体が景観推進機構を指定し、景観に関するアドバイスを求める制度が整えられました。(社)長野県建築士会でも、景観整備機構を組織し、昨年、松本市から景観推進機構に指定されています。今回、松本市から始めての依頼で、建築士会の松本筑摩支部の社会貢献委員会で検討しながら、提言書をまとめています。

「商業地」「オフィス街」「住宅地」etc・・・高度成長期に効率を最優先して、街の構成要素を分化して計画する事が、日本中で行われました。しかし、街とは本来、住む・働く・買う・遊ぶ・集う・・・が渾然一体となり、清濁併せ持つ、ごった煮の様なものです。様々な要素が「重層した街」の姿を、提言書の骨子としています。

同時に「重層した街」には、歴史・社会の変換に伴う「時間の積み重ね」の意味も込めています。松本市の都市空間においては、かつて城下町でであった、小路や丁字路などの街路の記憶も大切だと思います。

これから、何年越しで取り組むことになるであろう、「まちづくり」のはじめの一歩です。



はじめの一歩・・・と言えば、初めて長文を書いたのが、小学校の修学旅行の感想文でした。当時は「ゆとり教育」のずっと前の時代で、教育県?の長野県は、とてもスパルタでした。沢山書けば良いというものではありませんが、小学校6年生が、原稿用紙100枚を書かされました。修学旅行は楽しい筈ですが、帰った後の作文の事を考えると、皆、帰りの電車の中で憂鬱だった覚えがあります。今回のレポートも随分書いたと思いましたが、2万字=原稿用紙50枚・・・小学生の原稿用紙100枚に比べれば可愛いものです。
当時の松本市の修学旅行は、知多半島に潮干狩りに行ったのですが、作文の最後を「修学旅行の翌朝食べた、あさりのお味噌汁が美味しかった。」と結んで、先生に褒められたことだけは覚えています。・・・・なんて、コマシャクレで生意気な小学生でしょう!


PS
その後、いろんな人と話したら・・・・小学生で100枚はあり得ない・・・10枚では?・・・記憶に自信が無くなってきました。