---------------  建築のあいまいさ

久しぶりに、曽根幸一・環境設計研究所の同期で、殆ど時を同じく独立した植本さんと長電話をしました。話のきっかけは、山遊びの話でしたが、いつしかお互いの仕事や建築の話題に・・・・。

今日の話の中で「建築の判り易さとあいまいさ」がテーマになりました。

互いに、多少は建築ジャーナルに取り上げられたり、取り上げてもらえなかったり・・・・・建築作品として、ジャーナルに取り上げられるには、取り上げる側が明快な視点で紹介できることが、重要な要素になるようです。説明しやすい明快なコンセプト・・建築雑誌をめくると、そんな建築が溢れています。
こんな中で話題になったのは、吉村順三の「軽井沢の家」でした。もし今、この建築が無名の新人建築家の作品として発表されたならば、建築ジャーナルは取り上げたでしょうか?・・・・我々二人共、「きっと、取り上げられなかっただろう。」と見解が一致しました。それほどに、現在の建築ジャーナルは、コンセプチュアルであること、建物を構築する事のゲーム性にばかり関心があるように感じます。さもなくば、自然素材や国産材等のエコロジカルなアピールも、ジャーナルの視野にありそうです。
私も(植本さんも)、表現していきたいのは、明快な中にも、割り切れない事柄を切り捨てず、「あいまいさ」をも包括した建築です。建築にはこれが大切で、建築を題材に身勝手なコンセプトをやり抜く事では無いと思っています。
スタッフ時代には、事務所のスタッフ同士で、曽根幸一さんのことを生意気にも「優柔不断」と評した事もありましたが、今にして思えば、曽根さんは、自分の悩みや葛藤・あいまいさを素直に受け入れることが、建築家として大切なことだと考えていたようにも思えます。
多少切れ味が悪くても、「あいまいさ」故に愛される建築もあるのだと思います。