------------------  政治と建築


私が、言葉足らずでブッキラボウなところがいけないのですが、長野県知事選に関して書いた内容が、嫌悪のように感じるとの感想を頂きました。書きっぱなしではいけないと思い、一週間経って冷静に書いてみました。


私は、建築家(の端くれ)として、主に住宅建築をつくる仕事に携わっています。おこがましいかもしれませんが、県知事が県民の為に県の行く末を考えるのだとしたら、私は、施主の為に施主の住宅と生活を考えています。政治と建築を同じに考えてはいけないかも知れませんが、私の乏しい人生経験の中では、自分の仕事と重ね合わせて考えるのが一番的確にイメージでき、的確に伝えることが出来そうです。その為に、私が建築をどの様に考えて、自分の仕事をどの様に思っているか一度考えてみました。

昨今のブームで、建築家というと、オシャレでイメージや先端のデザインをを駆使しながら、夢の住宅をつくる魔法使いのようなイメージをお持ちの方もいるかもしれませんが、それはメデイアに取り上げられるほんの一面です。空間や場面をイメージして、美しく快適な建築を考える能力は、建築家にとって必要な能力で、その感覚を研ぎ澄ます勉強を怠ってはいけません。
しかし、それ以前に、施主と対話してイメージを共有出来ることが重要です。施主と私がいつも同じ意見とも限りませんし、施主の中でも、ご主人・奥さん・お子さん・おじいちゃん・おばあちゃん皆が違う意見を持っています。それぞれの意見のズレを認めつつ、皆が一番納得できるイメージを導くのが我々の仕事の大切な部分です。
次に、自分の考えを工務店や職人に的確に伝え、実際の工事の中で問題点を解決しながら、実際の建築をつくりあげる根気も、大切な資質です。工務店にとって、儲かることは勿論大切ですが、工務店も「ものつくり」ですから、限られた予算の中で最善の建築をつくろうとします。その意欲を引き出しながら、時に激しく口論し、お互いを補い合いながら、ひとつの建物をつくりあげる喜びを知っている事が大切です。工務店・職人と粘り強く対話しながら、絵に描いた餅(設計)を実際の建築につくりあげる熱意と冷静さが必要です。
デザインに関わるオシャレな部分はほんの僅かで、建築家とは実際には、打たれ強い根気の要る仕事です。




少し乱暴ですが、上の文の中で、施主を県民と読み替え・建築家を知事と読み替え・工務店や職人を行政や業者と読み替えて、田中さんの知事の仕事を振り返ってみました。

●施主とイメージを共有できたでしょうか?
○自分と意見の合う人とは話をしましたが、意見のズレを認めながら、粘り強く色々な人と対話をしたとは思えません。

●空間や場面をイメージして、美しく快適な建築を考えたでしょうか?
ロハス・スロー・循環型社会等の流行のイメージを振りかざし、多くの人をアジテートしました。しかし、それが施主が建築に求める的確なイメージだったかは疑問です。

工務店や職人と、絵に描いた餅(設計・政策)を実際の建築につくりあげる熱意と冷静さがあったでしょうか?
○自分に逆らわない人を拾っていただけで、意見を異にする人たちと仕事が出来ませんでした。建設現場では、意見を異にする人が多くいますから、建築をつくりあげるのには、それらの人と対話をしなければ成り立ちません。自分のイメージした建築を形にするのには、ものすごいエネルギーと根気が必要です。我々は、絵に描いた餅(設計・政策)は何も評価されず、出来上がった建築が全てです。


政治と建築、県知事と建築家を比較するのをお許しいただければ、私が考えている仕事とは違う態度です。私は、政策だ、利害だ、市民派だ、守旧派だ、など良くわからない建築バカですが、ものをつくる(県をつくる)仕事として共感できませんでした。

新しい知事が、政策をつくりあげるのに賛成からも反対からも多くの対話をし、政策を実行する場面では熱意と冷静さと根気を持った人であって欲しいと思います。