------------------  クーベルタン男爵


参加することに意義がある。」
「アマチュアスポーツの祭典・オリンピック」の理想とクーベルタン男爵の言葉はどこにいったのでしょう。
オリンピックの殆どの競技の殆どの選手が、プロあるいはプロを目指す人たちです。しかし一方で、オリンピックが各競技の最高峰の大会でないことも事実です。

ミキティーにとってのオリンピックは、プロのアイスショーへのステップにすぎないのは、皆が気がついています。少しでも良い成績をのこして、将来への足がかりにしてください。しかし、フィギュア協会は15歳の金メダル候補を出場させないのですから、オリンピックが最高峰の大会でないことは明白です。
童夢やメロの派手な言動、常にカメラ目線の彼らの見ている先は「プロになって稼いでやる」以外の何ものでもありません。彼らの言動を非難はしませんが、あまりにも浅はかで興味が持てません。おまけに、アメリカの選手との迫力の違いは、始めて競技を見る私の目にも明らかです。アルペンスキースノーボード等のプロ化が進んだ競技では、ワールドカップチャンプが最高のステータスです。

競技のパフォーマンスで人を魅了し、観客もお金を払ってでも見てみたいと思う、真の意味でのプロスポーツは数多くありません。プロスポーツでも、自分自身で「魅せる」などと言って、人に愛される自分を気にしているうちはダメなんでしょう。競技を愛し、競技の厳しさが伝わってくる、イチローの域に達する選手は多くありません。

私が、お金を払ってでも見たいと思ったウインタースポーツは、アイスダンス・トービルとディーンの「ボレロ」と、ステンマルクの大回転といったところでしょうか・・・。(歳がバレますね。)



前置きが長くなりましたが、「魅せる」の大安売りで、オリンピック中継に飽き飽きしていたところ・・・。
クーベルタン男爵の思い描いていたオリンピックはここにありました。
シムソンズ」改め「チーム青森」に釘付けになりました。どう考えてもカーリングにスポンサーが付くわけも無く、やっと得たポジションは、青森県のスポーツ振興財団のスタッフです。カーリングを続けても、将来スポーツキャスター等の道が開けるわけもなく、ただ、カーリングをやりたいだけの、すごくアクティブだけれど普通のお姉さんです。テレビの画面からは、彼女たちの真剣な眼差しが伝わってきます。廻りの目を気にせずに、一心不乱に競技に向かい、喜ぶ笑顔、悔しがる唇をかんだ表情に、引き込まれていきます。


カーリングの、小野寺さん、林さんも、これが将来の自分の経済上の実利に結び付くはずもありません。ジャマイカボブスレー選手・ブラジルのアルペンスキー選手・イギリスのスキージャンプ選手も、皆ただの「○○馬鹿」で、4年に一度のお祭りに参加したいのです。
♪踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら、踊らにゃ損損♪
そして、我々観客は、等身大の彼等・彼女達が、祭りの舞台を純粋に楽しむ姿に同化していきます。



クーベルタン男爵はオリンピックに「祭り」をイメージしていたのでしょう。
祭りは、多くても年に一度、たまにしか無いこと。もうひとつは「化身」の要素です。

祭りはプロが技を見せる舞台ではなく、普通の人が「いつもとは違う自分」に化ける場で、皆が祭りに同化します。プロスポーツ選手や役者にとっては、ワールドカップの転戦からもわかるように、競技や演技は日常の一端にすぎず、彼らには特別なハレの場はありません。
マチュアの為の「日常からハレの場への転化」「同化できる祭りの興奮」が、オリンピックなのだと気づきました。

トリノオリンピックでの「チーム青森」の祭りは、スイス戦で終わりました。また、4年後に楽しい活躍を見せてください。間違っても「伝道師」「広告塔」などと煽られたり、「ジャンクSPORTS」などに出演して、メディアの食い物にされませんように・・・。

P.S.
カーリングを見るとしたらやはり女子でしょうか。テレビ画面に、カーリングを投げるイカツイ男性の顔がアップになるのはゴメンナサイ、願わくばチャーミングな女性が似つかわしい。その意味からも、海外の迫力あるおばさん選手達の中で「チーム青森」は大健闘でした。

P.S.
友人の従姉妹・中山英子選手の祭りも終わりました。普段は地方紙の新聞記者、4年に一度スケルトン!まるでクラーク・ケントとスーパーマンみたい。