------------------  雑誌の取材

ya-ao2005-05-29



今日は、ある雑誌の取材をうけました。取材して頂いた建物は「グリットハウス」です。
隅々まできれいにされていて、嬉しく思います。取材に生活の場をお借りするのは心苦しいのですが、ご家族も建物と一緒に撮影に入っていただいたり、取材を楽しんで頂けてホットしました。

建物を引渡してから、始めてお伺いしました。ソファや家具も整い、オーディールームのスクリーンやプロジェクターも設置され、すっかり家らしくなっていました。
自分の設計したお宅にお伺いする度に感じるのですが、「そういえばこの家は、僕が設計したんだったよな・・・・。」という不思議な感じを覚えます。
確かに私が設計した「建物」なのですが、そこにあるのは、まぎれも無く、住まう方の色になった「家」なのです。

設計しているときに、家具の配置を想定するのはもちろん、その建物の中での立ち居振る舞いや、物の散らかり方までもイメージしています。しかし、大抵はそのイメージとは、どこか少し違った「家」になっています。流行の言葉で言うと「想定の範囲内」に無い家具の配置だったり、使い方がされています。これは、その方の「生活」ですから良い悪いの問題ではありません。
建築家・デザイナーに家を設計してもらったら、余計な物を置いてはいけないし、スタイリッシュな生活をしなければ、と思われがちですが、私はそこにあまり立ち入らないようにしています。私たちは生活の器としての「住宅・建物」を設計しているのであって、そこに生活を盛り込み「家」にしていくのは、住人です。これを勘違いしてはいけないと思っています。スタッフにも「住宅は余計なことをデザインしすぎてはいけない。そこまでデザインしてしまったら、住人にとっては大きなお世話だ。」と口をすっぱくして話しています。
「建築家は、あなたの生活をつくるパートナー」といえば聞こえがいいのですが、あなたの生活はあなたがつくるのです。

私は、「あなたがどんな生活をしても、私の設計した建物は骨抜きにされないぞ!」と思って設計しています。住まい手が建物を住みこなす力を信じています。私たちに出来るのは、おおらかな器をつくることだと思います。

取材で「家」の中をうろうろしながら、そんなことを考えていました。(建築の取材は写真をとる時間が長いので、実は退屈だったりします。)