------------------  万博の時代


丹下健三さんが昨日お亡くなりになった。日本を代表する「世界のタンゲ」と呼ばれた建築家です。
私が独立する前にいた事務所の代表、曽根幸一さんは丹下さんの事務所の出身なので、系図でいえば、私は孫弟子にあたる。曽根さんからも、丹下研究室が国家プロジェクトとして力を注いだ大阪万国博覧会の話はよく聞かされていた。曽根さんは万博の会場計画を担当し、磯崎新さんはお祭り広場の担当だったそうだ。当時担当した彼らは仕事のダイナミズムに呑まれていた・・と言っていた。ものすごいエネルギーを費やした・・。
大阪万博当時、私はこれから小学生、今の私の娘と同じ年であった。会場がやたらと広くて・・・「太陽の塔」は良く覚えている。「芸術は爆発だ」一も二も言わせない迫力があった。
私にとって丹下健三さんの建築はといえば「東京カテドラル」を体験した時の荘厳で圧倒されるような感激、それ以外は実感が無い。「代々木体育館」はすごく大きな建物だなと思った。
今朝の新聞に、「戦後復興していく日本において、国家を象徴する建築家であった。国家を建築として組み立て、日本を世界に開く仕事をされた。」と磯崎さんの話が出ていた。

丹下さんの晩年の仕事は、「東京都庁」「フジテレビ本社ビル」であった。国家プロジェクトが必要でなくなった後、バブルの時代が再び丹下さんを必要としたのだろう。最後の作品は、ホリエモンの標的になっているフジテレビである。

折りしも、間もなく「今世紀初の万博=名古屋万国博覧会
一昨日の朝のテレビに、大阪万博の「太陽の塔」と対照して、名古屋万博の「大地の塔」が紹介されていた。プロデュース(作者とはいわないらしい)はこの頃文化人を気取る、藤井フミヤ。茶色く薄汚い細長い塔の中が、万華鏡だという。「ギネスブックに世界一の万華鏡だと認定されました。嬉しいです。」私はテレビを見ているのもバカらしくなってきた。お茶を濁すのもいい加減にしろ。

博覧会の時代・国家を象徴する時代・モノを造る時代は、丹下健三さんのものであった。
「もうこんなものは見たくも無い…。君たち、いい加減に僕の後を追うのはやめなさい。一足お先に。それでは。」と万博の開催を前にお亡くなりになったかのようだ。ご冥福をお祈りいたします。

丹下さんや、万博、その後・・を話し出すと、なぜだか、一歩引いた空虚な態度でしか話が出来ない。頭をかすめるのはジョンレノンの「GOD」の最後の一節「Dream is over」