--------柔らかな建築

昨日、建築家協会の長野県クラブの先輩・君島さんの設計した住宅を見せて頂きました。久し振りに、ヤラレタ!という感想でした。

建築の設計には、色々なアプローチがあります。工夫された平面・プランも大切ですし、冬暖かく・夏涼しい住宅としての性能も勿論大切です。しかし、建築には、使い易い、便利・・・そんな事以外にも、そこに住みたい・居たいと思わせる何かがあり、それが一番大切なのは言うまでもありません。

住宅の設計にのめり込んでしまうと、便利に快適に住めるように、痒いところに手の届く設計をしてしまいがちです。けれども、人間の住環境への適応力は非常に高く、多少使い勝手が悪くても、建物を住みこなす事は出来ますし、人間がそこに暮らしたいと思うのは、至れりつくせりの快適さではありません。建築に・空間に、魅力がある事・・・・が一番大切です。

私の事務所は、築40年の古い木造住宅を事務所にしていて、誰がみても、「これが設計事務所?」という環境です。畳をフローリングに張替え、ファンヒーターで暖を取りながら、多少?不自由な環境で仕事をしています。しかし、南の庭に向いた明るい窓と、住宅スケールを感じさせるのんびりとした職場環境は、ビルの中の仕事場では得ることの出来ない感覚を呼び起こさせてくれます。


昨日の君島さんの設計した住宅には、キッチン・トイレ・風呂の水廻り以外には、生活を規定するような平面計画が希薄でした。開口部もそれに従って、1階と2階に南に向いた大きな開口部がある以外には、窓らしい窓がなく、外界とインテリアを仕切るのは、色々な形の小さな穴がランダムに穿たれた壁(壁と言うよりは、外皮と言った方が適切かもしれません)です。その無数の小さな穴から、柔らかな光が部屋中を満たしています。見学しながらも、思わず顔がほころんでしまいました。
 

きちんとした平面計画の基に、きちんと開口部や壁を設けて、生活が見えるような設計をするのが、近代建築の流儀だとするならば、昨日見せて頂いた住宅は、無茶苦茶です。しかし、しばらく、そこに居てみたいという妙な心地良さがありました。
それは、開口部と壁・明るさと暗さ・荒々しさとシャープさと言った2項対立を、上手に整理しながら計画してきた近代建築の手法とは全く違って、ニュートラルなシェルターの中に、柔らかな空気を創る、なんとなく気持ちの良い居場所を創る・・・今までとは、全く違った概念なのかも知れません。

かつて、学生の頃、ジョン・コルトレーンのアドリブを聞きながら、抑揚のない、絨毯の様に詰きつめた音の粒の心地良さに引き込まれ、いつしかこんな建築を創ってみたいと感じていました。ヨコミゾさんの富弘美術館が発表されたとき、ヤラレタ!と思いましたが、まだ実作を見ていません。建築雑誌でも幾つかそんなイメージの建築を目にしていますが、実際にそんな空間を体験したのは、今回が初めてでした。

私も、近代建築の優等生?を続けていきたいのではありません。さて、これから、どこに?何に?向かって進んで行こうか・・・・・とても、刺激を受ける見学でした。