------------  建築と言葉


現在、幾つかの住宅の基本設計が同時進行しています。基本設計とは何も無いところから建築の形を導き出す作業で、私は建築の設計の過程でもっとも大切なステージだと思っています。
建築主の希望を聞き分析し、敷地のコンテクストを読み取り、ドローイングをし、模型スタディーをし、建築を形づくっていきます。目が考え、手が考え、建築を考えていくのですが、このごろ特に「言葉」を意識しています。
私が学生の頃の建築教育(特に私の母校)では「言葉」はあまり大切にされていませんでした。建築とは形が出来てナンボ、目が考え、手が考え「おしゃべりしないで建てろ」(ミース曰く)という風潮でした。言葉とは曖昧で、ドローイングや模型は実体だから、建築という形を考えるのには言葉よりもドローイングや模型が有効である・・・という風潮でした。

確かに「言葉」とは抽象的な概念ですから、コミュニケーションツールとしての言葉は曖昧で相手とのズレがつきものです。コミュニケーションツールとして言葉を使う時には、そのズレを埋めるために必ず図面や模型を添えて話をします。

建築をつくる際の、もうひとつの言葉の意義は「概念としての言葉」です。

建築をつくる時、必ず「こんな感じ」「あんな雰囲気」「こうしよう」等と自問自答しながら、抽象的なイメージを頭の中に描きます。その一番の最初の取り掛かりが「概念としての言葉」です。実際の形が無い「抽象的」であるが故に色々な可能性を秘め、多様なイメージが広がります。忙しくなるほど、あくせくと手を動かして形をつくろうとしてしまうのですが、基本設計には、腕組みをして目をつぶって静寂の中でぼんやりと考える・・・言葉によって抽象的なイメージを追いかける過程がとても大切です。「理論武装」というと嫌なイメージに聞こえますが、「建物の概念をまとめる」事は建築をつくる上で避けて通れない過程です。この頃、住宅の設計でも、基本設計の途中で、建物の概念をテキストに書いて確認するようにしています。目や手が考えるだけでは気がつかない「建物の骨格」が見える時があります。


この頃「建築と言葉」なんて事を意識していたら、タイムリーにこんな本を見つけました。

「言葉と建築」(エイドリアン・フォーティー著・坂牛卓+邉見浩久監訳・鹿島出版会