------------------  晴耕雨読


このblogは「晴耕雨読」なのですが、11月に入って「ニセ社会派」になっています。
11/07・センシティブ…古くから愛されてきた建物
11/15・夢を持つ…仕事とその先に広がる社会
11/21・構造計算偽装はトカゲのしっぽ…消費者の価値観
11/22・不良品マンション…商品をめぐる販売者と消費者の責任
11/23・○○士の仕事…サムライ商売の社会での存在意義
しかし、全ての内容は繋がっています。


消費、使い捨ての価値観が極まり、「街」「建物」「食品の文化」「仕事」そして「時間」も…全てが、消費対象として扱われ社会資産としてストックされることが無くなっている。
バーチャルリアリティーと「実態」が混同され、「実態」であることから逃れられない「食品」「建築」「街」「労働」が、バーチャルリアリティーの世界の様に簡単にリセットできると勘違いされている。「人の命」までもが、リセットできると、消費されている。


「街」が消費されると…きれいに化粧されただけの歴史のない街
「建物」が消費されると…売れたら終わり(買ったら終わり)、資産価値の育たない不良債権=構造計算偽装事件
「食品の文化」が消費されると…雪印事件、その他食の安全をめぐる問題
「仕事」が消費されると…フリーター、トカゲのしっぽ、姉歯
「時間」が消費されると…JR西日本事件、人の時間を尊重しない携帯電話


今更、私が言うまでも無く、多くのblogにも「消費の価値観の極まり」が指摘されています。
これは、時間を消費する「TV報道」では、消費の価値観の弊害は語られません。本来は、報道のストックであるはずの、新聞にも、あまり語られてはいない。
「Blogの力」って、ここにあるのでしょうか?
これで「ニセ社会派」blogはお休みにして、「晴耕雨読」に戻ります。


「ニセ社会派」の最後に、私が大切に思っている言葉を引用させてください。
現実に、物であるということはね、逃れなれないことだね。だから、建築家には実物を作るという責任が、あるわけでしょう。(1979) 建築家・吉村順三