------------------  開智学校

ya-ao2005-10-30



今日は、すごいものを見てきました。前々からその存在は知っていたのですが、今日、近くを通りかかったので寄って来ました。「S.G.C」信州ゴールデンキャッスル。居酒屋チェーン「養老乃瀧」の創業者は、四賀村(現松本市)の出身で、出身地に自分のコレクションの展示館を兼ねてつくった結婚式場が「S.G.C」です。何様式だか良くわからないめちゃくちゃな意匠に金ぴかと大理石の建物で、私の価値観とはずいぶん趣きを異にするものでした。
興味のある方はこちらの写真をご覧ください。


実は、この違和感は他でも感じたことがあります。重要文化財「開智学校」です。私は開智小学校の卒業生ですから、毎日これを見て育ちました。教科書にも明治初期を代表する建物と紹介されていますから、これが明治の建築文化なのだと刷り込まれていましたが・・・。


こんなことを書いたら、松本市の文化人のお歴々に怒られてしまいそうですが、西洋に追いつけ追い越せと、大工の棟梁が外国の写真の見よう見まねで、寄棟の瓦屋根に八角形の塔を乗せて、エントランスのアーチに天使の彫り物をくっつけちゃったのだから相当なめちゃくちゃです。建物のプロポーションもけして美しくない。「S.G.C」と大差ないと言ったら言い過ぎでしょうか。
勿論、先人の熱意や創意工夫には敬意を表します。しかし、「開智学校」をインチキ西洋風(建築史用語では擬洋風という)の建物にしなくても、もっと美しい品のある建物をつくれたはずです。同じ明治初期の学校でも西伊豆の「岩科学校」の方が、予算が無かったせいか抑制が効いて、いくらかましです。

「開智学校」だけでなく擬洋風や帝冠様式の建物が国宝や重文として保存されていますが、何でも有難がるのではなく、歴史資料価値とは別に、建築的な負の面(定説にはなっていませんが)も解説するべきだと思います。